Article内視鏡医父の遺志宿る土地で開業、「楽に受けられる内視鏡検査を徹底的に追求します」…富田誠先生2022/09/05
目次
愛知県一宮市にある内科・消化器内科クリニック、富田医院。院長である富田誠先生(以下、富田先生)が、亡き父・富田滋先生が経営していた病院の跡地に再建・開業したクリニックです。
今回は内視鏡医として東海地方でも指折りのESD(Endoscopic Submucosal Dissection)*の技術を持っている富田先生に、開業に至るまでの経緯や内視鏡検査にかける想いについてお話を伺いました。
*編集部注:内視鏡的粘膜下層剥離術、特定の条件下における早期胃がんに対する治療法の一つ
父の死と閉院、思わぬ”遺産”との出会いが開業を後押し
「ある時、病院を経営していた父が『引継ぎたいが、うまく引き継げなかったら閉院する』と言っており、冗談だろうと思って聞いておりました」
しかし、富田先生が大学5年生の時に父が急死。突然のことで狼狽する中、学生であった富田先生にはどうすることもできず、クリニックは致し方なく閉院することになりました。
月日が流れて富田先生が医師となった後、開業への気持ちを強くさせる出来事があったと話します。
「生前に父が診ていた患者さんを、世代を超えて診る機会が幾度となくありました。その際に患者さんから 『(富田滋先生は)優しい先生でした』とのお言葉を数多くかけていただきました」。
自分自身にも家族にも厳しかったという富田滋先生。父の異なる一面を多くの患者さんから教えてもらい、驚き、時には感涙しながら、父の遺志を継いで開業することを誓ったと言います。
「患者さんを治したい」、黎明期のESDに没頭
様々な診療科がある中で、富田先生が消化器内科を選んだきっかけとしては、東海中央病院時代に出会った、恩師・兼城賢明先生(フェニックス総合クリニック副院長)の存在が大きかったと言います。
「兼城先生が『消化器内科で一緒に患者を診ないか』と誘ってくださいました。一見豪快なようで、ものすごく患者さん想いの医療を提供される繊細な先生でした。兼城先生の人柄や患者さんを診る姿勢を見て、自然と指導を仰ぐようになりました」。
さらに、当時新しい技術であったESDとの巡り合いも「自分にとって大きな出来事だった」と富田先生は語ります。
「当時はESDに正式な名称がついていないような、まさに黎明期でした。プロトタイプだったIT Knife(内視鏡治療に用いる処置具のひとつ)を知り合いの医師から譲り受け、その1本を大切に使って新しい技術の習得に熱中しました」。
ESDの技術を会得するために、ESDの第一人者である小野 裕之先生(当時国立がんセンター中央病院。現静岡がんセンター 副院長兼内視鏡科部長)から譲り受けたという、ESDを行っている様子を録画したVHSをテープが擦り切れるほど見直し、何度も繰り返しイメージトレーニングを重ねて現場の治療に臨んだ富田先生。そこまで熱心に取り組んだ理由を伺うと「患者さんを治したいという想いが強かった」と話します。
「ESDは手技が煩雑で習得が難しく、処置にかかる時間も2〜3時間ほどかかることが当たり前でしたので、当時はなかなか普及していませんでした。しかし、自分としては”病変を一括で切除できる”ということに魅力を感じました。
結局のところ、がん病変を完全に取り切らないと再発する確率も高くなります。患者さんのことを考えると、一括切除でしっかりと治療してあげることが重要だと想い、日々鍛錬しました」。
富田先生はESDを中心に内視鏡検査の腕を磨き続け、次第に地域で屈指のESD技術を持つ医師として名を馳せるようになりました。
患者さんが楽に受けられる内視鏡を追求
このまま病院に残って、ESDを行える後輩医師の育成に力を注ぐことも良いのではないかと迷った時期はあったものの、前述のような出来事もあり、最終的には父が患者さんを診ていた土地でこれまで培った技術や経験を還元することを決意した富田先生。2015年、父の病院の跡地に富田医院を開業しました。
「”如何にして患者さんに精確で楽な検査を提供できるか”というのは、私が医療を行う上で最重要視しているテーマです」。
富田先生は力強く語ります。内視鏡検査はがんを早期で発見する上で有効な検査方法ですが、検査を受けない・受けたがらない患者さんも一定数います。
富田先生は、”過去の内視鏡検査によるトラウマが原因で、受けるべき検査をせずにがんの発見が遅れてしまったため、がんが進行してしまった”という現象の責任は医師にあると断言。昔病院に勤務していた際には「もうこんな苦しい検査は受けたくない」と言っている患者さんにも遭遇したそうです。
「内視鏡検査における診断能力を磨くことももちろん重要ですが、患者さんに楽に検査を受けてもらうためにどうすれば良いかを常に考えて診療に打ち込んでいました」。
富田先生が若手だった頃は現在ほど大腸内視鏡機器の性能が発達していませんでしたが、挿入技術に関しては学会や医師向けのセミナーで特に話題になっていたため、積極的に参加して情報収集していたと振り返りました。
最新設備を導入するだけでなく、コミュニケーションも重視
富田先生は患者さんが楽に検査を受けられるよう、自身の内視鏡検査の技術だけではなく、設備の充実や患者さんとのコミュニケーションにも徹底的にこだわっています。
「高い精度の検査を提供するために、最新の内視鏡を使っています。最新機種は画質が良いだけではなく、操作性が高く、患者さんの負担をより軽減できるメリットがあります」。
富田医院で内視鏡検査を受けた後、「他の病院で受けた時よりも楽だった」と話す患者さんも多いとのこと。内視鏡機器だけでなく周辺設備にもこだわっています。検査を受ける患者さんのプライバシーを重視した前処置用の個室、検査後にスムーズに処置室へ移動できるストレッチャーなど、患者さんの負担軽減を考えた様々な設備を導入。
それでも検査に不安を感じる患者さんは一定数いるそうで、検査前のコミュニケーションにも気を付けていると言います。
「鎮静剤を使うかどうか、上部消化管検査の場合は、経口内視鏡と経鼻内視鏡のどちらで行うかなど、患者さんにそれぞれのメリット・デメリットを説明した上で検査に臨みます。過去に内視鏡検査で辛い経験をした患者さんには鎮静下での検査を提案するなど、患者さんが検査に前向きになれるように意識しています」。
そのような積み重ねにより、内視鏡専門クリニックではないにも関わらず、現在では一般診療と平行しながら年間1,500件近い内視鏡検査を行う施設へと成長。評判が口コミで広まり、大腸内視鏡検査が2か月待ちになった時期もあったそうです。
AIの実用化にも期待、「医師の身体的な衰えをカバー」
内視鏡システムをはじめ最新の設備を揃える富田医院。富田先生は、近年製品化・臨床導入が進み始めている内視鏡AIについても期待を寄せています。
「一般的に言われているように、AIの臨床導入により内視鏡検査における病変の見逃しを防ぐというメリットももちろんあると思うのですが、“内視鏡医の寿命が伸びる”ことが大きいと思います」。
富田先生のような経験豊富な内視鏡医であっても、将来訪れるであろう加齢による視力や集中力の低下といった身体的な衰えは避けられないと言います。
「高齢になればすぐに目が疲れてしまったり、目がかすんで若いころは目視できていた病変が見えなくなったりしてしまうかもしれません。私自身も今は元気ですが、何歳まで内視鏡を握っていられるかはわかりません。
ですから、AIが『ここに病変がある』と指摘してくれることによる“内視鏡医の老化のカバー”に期待しています」。
診療を通じてより良い社会づくりに貢献したい
そんな富田先生に今後の展望について伺うと、「一個人として掲げるには大きすぎるかなと思うのですが」と前置きしつつも、「医療を通じてより良い社会づくりに貢献していきたい」と語ります。
「恩師である小学生時代の家庭教師の先生が富田医院へ通院しており、今年の春に中学校の校長先生を退官して違う学校で教壇に立つと耳にして、『私が診た先生が教壇に立って良い生徒を育てる、まさに自分がやりたいのはこういうことだ』と感じました」。
患者さんだけではなくこのクリニックで働いてくれるスタッフに対しても同じように想っているそうで、結婚や出産といった人生のイベントをきっかけに優秀なスタッフが辞めてしまうことがあっても、富田医院で学んだことをその後に活かしてくれればそれが富田先生の理念に通ずると話します。
父の遺志を継いで開業し、医療を通じた社会貢献を目指す富田先生。「楽に受けられる内視鏡検査」をモットーに、これからも地域医療への貢献へ奮闘していきます。